函館東浜桟橋

 東浜桟橋は明治時代鉄道連絡船が就航する前、北海道への玄関口でした。現在は旧桟橋の名で観光名所の一つとなっています。

 向かい側には連絡船摩周丸と連絡船桟橋も。連絡船の桟橋は当時若松桟橋と呼ばれていましたが、鉄道連絡船は七重浜近くに有川桟橋と二つの桟橋がありました。これらの連絡船桟橋も既に役割を終えた桟橋ですが、若松桟橋の沖側には新しく桟橋が作られておりまた函館の海上交通に変化があるかもしれません。

 吹雪く函館湾と青函連絡船、士官室の窓が大きくなった以外は現役時代とあまり変わりありません。沖側の新桟橋が無ければほぼ昭和のままです。

「・・・。」

 「昭和」と言われても黙っているしかない、エリーたんです。

 しかし金森倉庫側は随分変わった、開発された印象です。連絡船の頃は「西波止場」の看板も無かったと思いますし、岸壁一帯が美しく整備されたのも最近です。

 現在函館港内の遊覧船は「ブルームーン」で写真の位置から出航しますが、連絡船当時は「臥牛丸」という船がこの東浜桟橋脇から出ていた記憶があります。函館山が牛が寝た姿に似ていることから別名臥牛山と呼ばれていますが、そこから命名された船です。

 この「吹雪の中の連絡船」という雰囲気は当時を思い出すには最高のシチュエーションですが、東京育ちには中々キツいものがあります。しかしエリーたんは元気いっぱい、「早く次に行こう!」という雰囲気です。「子供は風の子」という言葉を実感します。

■ この写真のモデルについて


 現在は種類が豊富なえあ★ますくを使用してドールを召喚する手もあります。



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