国鉄時代の道内鉄道

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 国鉄時代、北海道の特別急行列車は先頭車がキハ82の80系気動車が主流でした。食堂車のキシ80、キロ80を含む7両基本編成を中心に最大13両編成で運転されていました。後継の183系気動車からは食堂車が連結されなくなりましたので、国鉄らしい最後の形式と言えそうです。

 後継のキハ183はおろかJR北海道設計のキハ281までも引退した今日ですが、やはり北海道の特別急行列車はキハ82だろうとカメラに記録します。先程から「特別急行列車」という言葉を使用していますが、特急列車の正式名称です。

 現在は急行列車がありませんので、普通に「特急」が速い列車の単語となっていますが、国鉄時代はまだアナウンスでも「特別急行、北斗○号」とアナウンスされ、車内も回転式リクライニングシートを配していましたから、クロスシートの急行、普通列車とは違う「特別感」がありました。

 現在はDF200が主役の貨物輸送も国鉄時代は耐寒耐雪仕様のDD51が主役でした。耐寒型の特徴である運転台の旋回窓は、破損の為か現在は一般的なガラスになっています。こうして駅構内の一部をそっくり残し、ホームや跨線橋まであると現役感がグッと増します。

 DD51 548は北海道100年記念の際、お召し列車の牽引に当たった名機です。細部を見るとラジエターカーバーは外れていますが、ATS表記は「S」1つだけです。現在はP型やSn型などの表記が中心ですが、都市部の国電を除けば殆どが「S」表記のみでした。

 奥には先程のキハ82の姿が見えます。北海道は特急が通る様な本線でも殆どが単線でしたからこの様な上下線の離合シーンやDD51牽引の普通列車を優等列車が追い越していくシーンはよく見られました。

 先程映り込んでいた跨線橋も現役時代のまま、実際に渡ることも可能です。

 ヨ8000緩急車。現在貨物列車の最後尾は赤い円盤や、取り外し式の尾灯が設置されるのみですが、国鉄時代は緩急車を連結し車掌を乗務させることが必須でした。列車の保安装置の性能向上でそのルールも廃止となりましたが、現在1名で運行している貨物列車も国鉄時代は機関士、機関助士、車掌の3名が乗務していました。

 廃車となっている貨車を展示している場所は数多くありますが、ホームが残っていると俄然現役感が増します。

 調子に乗って出発合図を送らない様にw。

 現在はワンマン、無人駅が増えましたので、出発信号機の進行現示で運転士が判断して列車を出発させるのが主流です。しかし国鉄時代では出発合図は駅長(権限を譲り受けた助役、運転主任、駅員を含む)の権限でした。駅長が右手を高く上げると、機関車は汽笛を鳴らしてゆっくりホームを離れていきました。

 「出発合図」これも国鉄時代の風景なのかもしれません。

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